小室哲哉を「凡人」だと思った、ある2つの話。 〜19歳の小室哲哉が書いた曲「You can fiend」〜
小室さんの姿が「音楽好きのおっさん」に見えしまったのは、自分だけでしょうか・・。
音楽著作権の譲渡を個人投資家の男性に持ちかけて5億円をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた音楽プロデューサー、小室哲哉被告(50)。11日に大阪地裁で懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)の判決を言い渡された。
【小室被告記者会見(1)】「ファンを裏切り本当に自分が情けない」(11:20〜11:25) (1/2ページ) - MSN産経ニュース
うーん、こういう話は野暮なのかもしれないけど、実は元々「小室哲哉」という人物が嫌いだったんですね。
TKブーム全盛の時代、それこそ、「globe」「華原朋美」「篠原涼子 with t.komuro」「H Jungle with t」右を見ても左を見ても ・・TK、TK、TK・・ で、「恋しさと せつなさと 心強さと 」や「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」が町に流れていた記憶があります。嫌いとっても小室さんの「人を見る目」や「万人惹きつける曲」を作る才能には率直に(凄いっ!)とは思っていたんですけど、音楽家の才能とは裏腹に(愛人の華原朋美さん)であったり(豪邸やフェラーリとったお金の話)の話、人として小室さんが嫌いだったのかもしれませんね。
なので、ずーっと小室さんの曲は聴かなかった・・。
ただそれが、2007年テレビ東京で放送していた「みゅーじん」という番組を見て大きく変わったのです。
(あれ、何だか思っている人と違うぞ!)って、自分のイメージ違う小室さんが居たのです。今回はそんな、小室さんの印象を2つのお話を紹介したいと思います。
テレビ東京「みゅーじん」で語った、自分が進むべき道との葛藤
「TM NETWORKの新作アルバムの製作現場に密着する」という内容の番組で、放送日は2007年12月23日。投資家男性との「楽曲806曲の著作権を巡る5億円詐欺事件」が2006年8月6日なので、既に借金で首が回らなくなっていた時期だったのかもしれませんね。(※小室さんは放送の2ヵ月後、被害者男性から慰謝料を含め6億円の損害賠償を求めて提訴されています。)
で、そのアルバム製作中、小室さんはアルバムに収録するため30年前に自身が書いた曲を探し始めたんです。それは亡くなった小室さんの友人である(安部晴彦さん)に依頼されて書いた歌詞。「一番と届けたい探し物」小室さんは昔の自分から今の自分に足りないものを見つけたい、そんな思いで歌詞を見つけようとしていたようです。
みゅーじんの密着中、小室さんはヒットについて、こんな心情を語っていました・・。
小室さん:(今は)1位獲れなくてもというか、ほんとにっ!興味がないんですよ、1位とかは。ミリオンとか、200万枚とか、枚数とかではないんですよ。
小室さん:どれだけ届くかですね。
木根さん(TM):そう、心にね。
小室さん:この時代にどれだけ届くかです。売れなくてもいい・・
木根さん:でも売れるにこした事はない?
小室:こした事はない。(笑)
アルバム締め切り3日前、安部さんの遺品が入った紙袋を手にスタジオに表れた木根さん。その中には安部さんが書き溜めた詩や曲とともに、小室さんの探し物、19歳の小室哲哉が作詞した「You Can Find」と書かれた1枚のレポート用紙が見つかったのです。TM NETWORKのアルバム「SPEEDWAY」に曲のみで収録されていますが、19歳の小室哲哉はこんな思いを歌詞に綴っています。
You Can Find
You Can Find
きらめく町を通り抜け
ときめく夢をかくしつづけ
子供たちは 何もおそれないいつだって光追い求める
はるか過去への希望続け
目の前に浮かぶ Situation
やさしさを逃す Hesitation
今は時のかぜみちびく言葉を綴り
きらめく女神うそをつく
わめきちらす大人経ちの(セレナーデ)(LOVE SONG)(挽歌)
望みのない 明日はまた動く
30年ぶりに対面した19歳と48歳の小室哲哉・・。
小室さんは音楽プロデューサーとして成功した今の自分と向き合わせて「You Can Find」について、こんな解説をしていました。
小室:
今といってることは変わらないんだよね。あんまりさ・・
まだ19か20歳じゃない?
子供の気持ち・・みたいな所。だけど社会の厳しさと、甘くねーぞっていうのと、そこに入り込むけど夢もてるの?「You Can Find」だろってこととか、明日が楽しかろうが、嫌な日であろうが繰るじゃん、ということを仕方ないとこで、何か考えてやっていかなくちゃいけない。ということを言ってるんだよね。
今とまったく同じこと言ってるんだよね。やっぱりさ・・
この会話の後、ピアノに向かい即興でメロディーを作る小室さんの楽しそうでもあり、何だか切ない後ろ姿が引きの絵で映っていたんですね。自分の理想とする音楽家としての姿と、借金返済やヒットを生み出したいプロデューサーとしての姿、裁判後の今だったら当時の小室さんの心の中での葛藤や苦しみが分かる気もしますが、その答えを子供の頃、夢を抱いていた自分に求めていたのかなぁって思うんです。
小室:
この頃の野心であったりとか。うーん・・
エネルギーっていうのは、うーん・・ 持ってろっていうか・・一山終わったと思ってるんんじゃないのとか、
峠越えたと思ってるんじゃないのちゅうか、うーん・・音楽に定年はないんだよっていうか、そういう感じですよね。(笑)
あのー、(19歳の自分に)結構怒られた感じだったんですよ。
この話をしている時、小室さんの目にうっすら涙が浮かんでいるように見えたんです。
今なら、小室さんの心の中や言葉の意味も理解できる部分は多いですけど、この言葉を聞いた時(あぁ、普通の人なんだなぁ・・)って思ったんです。音楽プロデューサーとしてミリオンヒットを連発して何十億のもお金を稼いだ人だけど、中身は普通の人と同じで、人生に悩んだり「生みの苦しみ」と戦っている。当たり前っちゃ当たり前だし、音楽家として天才なのは周知の事実だけれど、人としては「凡人」なんだなぁって・・。
KEIKOさんのお父さんくれた、無償の愛
2つ目は2008年に放送させた「オーラの泉」での話です。
それは、自分の息子のように可愛がってくれたKEIKOさんのお父さんから受けた、こんな思い出を語っていたんです。
小室「そうなんです。逃げてばっかりいたわけなんですけど 逃げたくない、
そこに何とか入りたいっていうことで、去年、他界したんですけど、
そのとき病院いたんですけれど、最後に言葉をかけたのが僕だったんですよ。
それまでだったら、家族といってもkco側なので、ちょっとひいていたと思うんです。でも、何故か一番前で『みんな、お父さんにありがとうって言え!』って知らない間に叫んでいたんですよね」江原「その部分は、簡単で、美輪さんがいつもおっしゃっていることと同じなんです。無償の愛なんですよ。だからいろんな意味で逃げてきたのも 無償の愛じゃなかったからなんですよね。常に何かの代償を求められていたり いろんな人間関係で。だけれでも、無償の愛がそこにあったんですね。 だから別になんであろうが、小室さんがどういう人間であろうがよくて 一人の息子としてというか、男同士の付き合いということもあるし」
小室「そういう人でしたね」
美輪「何かお父様からプレゼントみたいなものを、お貰いになった?形見になるようなものを」
小室「まあ『無理やり食べさせられた』というのが、一番のプレゼントでしょうね とにかく『食べろ、食べろ』『そんなんじゃ、病気になるから』 『そんなんで力が出ない』とか」
江原「でもね、『苦痛だったろう?』と言ってます」
小室「まあ、ちょっとそれはありましたけれど、ふぐ屋さんですから、
魚介類が何とか食べさせたかったみたいで、最終的にそうめんみたいにしてくれて、ツルツルと寒天みたいに ポン酢みたいなものにつけて『これなら食べられるだろう?』 って。食べたら、美味しくて、それが始まりなんですけれど、そこからもう 卵焼きから何から」江原「『だってまともに米もしっかり食べなかった』って言うんです」
美輪「それがプレゼントですよね。それが形見」
小室「印象といえば、まずそれですね」
美輪「何よりのプレゼントじゃないですか」
小室さんはかなりの偏食小食な人で、フェラーリでファミリーレストランに行ってという逸話もあるとか。TKブームの時代も食事の殆どをファーストフードやコンビニ弁当で済ませていたそうで、特に魚は1歳半の頃「目の前に突然鯉のぼりが降ちてきて、トラウマになった」(どいうこっちゃ?)らしく、KEIKOさんと結婚するまで食べていなかったそうです。
今回の事件で小室さんが逮捕されて、結果的に有罪判決となったわけですけど、こうやって音楽家として悩んだり、KEIKOさんや亡くなったKEIKOさんのお父さんからの愛情や優しさを受け取って、それを歌詞や言葉に変換できる人。
うーんなんでしょう、「魚食べられないのに、詐欺できるの?」みたいな・・。(笑)
NEVER END
(誰でも夢を見る、数え切れない、やさしさが支えてる)
小室さんが沖縄サミットのために書いた曲「NEVER END」で綴った言葉。なんだか知らないけど、今回の事件を見ていて、自分の脳裏にふと浮かんだ言葉です。
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おすすめ度の平均:実はね…
聞けば聞く程良いCDです
結構いいじゃない
彼ららしい
原点回帰と同窓会