ウッチャンナンチャンのウリナリ世代、1991年生まれの僕の話

はてなブで話題になっていた、「はみだしさん」の1989年の話というのが話題になっていました。
それに触発されて、僕も生まれた年から現在までを振り返ってみたいと思います。

1989年は、元号が平成に変わって、消費税3%が導入されて、中国では天安門事件が起きて、東西ドイツを隔てるベルリンの壁は崩壊して、事実上冷戦が集結した年、みたいだ*1。覚えてるわけがないのだけど。


デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 - はみだし


僕が生まれた1991年の大事件と言えばソ連崩壊でしょうか。別に歴史に詳しくない僕ですが、この出来事が僕が生まれ生きてきた時代を象徴する出来事なのかもしれません。

僕の子供の頃といえば、ぜんそくという持病がありなかなかアウトドアな活動できず内向きな少年だったと思います。その頃、小学生の時のバイブルと言えば、コロコロコミックでした。今はもう潰れてしまったけど、近所の本屋さんで発売日を待ち遠しく思っていた記憶があります。ドラえもんが大好きな少年でした。大人になった今も毎週かかさずドラえもんはチェックしているんですけどね。初めて行った映画もドラえもんだったと思います。確か、「のび太のねじ巻き都市冒険記」だったと記憶しています。その当時、本当にドラえもんは練馬に住んでいるんだと思っていました。恥ずかしい過去ですね。ミニ四駆をかじりついて読んでいた記憶も懐かしいです。ハイパーヨーヨーミニ四駆、そしてアニメ化された「爆走兄弟レッツ&ゴー」が大好きな少年でもありました。

小学校時代は毎日のように駄菓子屋に行ってお菓子を食べていた記憶があります。大好きだったのは、ヨーグルトもどきのヨーグル。小さいスプーンを使って必死で食べていた記憶があります。そんな駄菓子屋も不況の波風か数年前に潰れてしまいましたが。

幼稚園の頃か小学生の頃か、その頃になると友達の家でゲームに嵌っていた記憶があります。
初めて買ってもらったゲーム機はスーパーファミコンでした。子供ながらにゲームに熱中して、ファイナルファンタジーシリーズは4〜6まで全部プレイした記憶があります。
小学校に上がる頃になると、プレイステーションが欲しくなりねだった記憶があります。父親が誕生日にファイナルファンタジー7を買ってきてくれた記憶が今も記憶の片隅に残っています。冒頭の演出が長いと思いつつ、父親と協力しながらクリアしました。子供ながらに、エアリスの死は衝撃的でした。しばらく、放心状態が続いていました。

次に欲しくなったのが、Nintendo 64でした。誕生日におねだりをして何とか買ってもらった記憶があります。買ったソフトの中で一番はまったのは「マリオ64」というソフト。スターを集めるゲームだったのですが、勉強する時間を無視して120枚のスター全てを集めてしまいました。次にはまったソフトがゼルダの伝説時のオカリナのでした。大人ゼルダと子供ゼルダの狭間に揺れながら、強敵ニワトリとの戦いに必死になっていました。

ポケモンも流行りましたね、僕が初めて自腹で買ったゲーム機(地域振興券ですが)はゲームボーイカラーでした。同時に買ったのがドラゴンクエストモンスターズの1作目。緑も買いましたが、主に学校で流行っていたのは金・銀の時代だったと思います。ポケモンを増やす裏技が学校中で流行ったりとかしてました。

その当時、もう一つ夢中になって見ていたのがテレビ番組。この頃から僕はねっからのテレビっ子となっていました。アニメはもちろん「あずきちゃん」「YAT安心!宇宙旅行」といったNHKものやテレ東の6時枠も熱心に観ていた記憶があります。メダロットとかが流行りましたっけ。勿論、ドラえもんは毎週金曜日の定番でした。そして夢中になっていのがバラエティ番組です。中でもウンナンさんの番組「ウッチャンナンチャンウリナリ」や「炎のチャレンジャー」懐かしのイライラ棒や30人31脚もリアルタイムで視聴していた世代です。ウリナリといえば思い出すのが、ポケビ対ブラビの対決ですね。その当時、僕はポケビ派だったのですが、今、曲を聴き返すとブラビの方が好きだったのかもしれません。もう一つ思い出すのが、ポケビ100万人署名でしょう。近所のスーパーにも投票用紙が置かれるほど社会現象となっていました。ホワイティも懐かしい。日曜日にはたけしのスーパージッョキーの熱湯コマーシャルを毎週のように観ていました。今考えれば休日の昼間に水着の美女が熱湯に入ってコマーシャルをする、それ自体が異常な時代だったのかもしれません。

小学校中学年から高学年くらいの間に流行ったのが遊戯王カードです。
これは必死で集めましたね。親におねだりをしながら必死で集めていた記憶があります。友達と戦ったり、カードを交換しあったり、今で言うムシキング的な人気があったと思います。

初めて家にパソコンが来たのは小学6年生くらいでしょうか。まだのパソコンのパの字も知らないまま、ゲームができるという理由で買った記憶があります。当時、マイブームだったのがヤフオクの観覧でした。子供なので買う事はできませんでしたが、当時、マイブームだった「ドラゴンボール カードダス」の商品を見ながら欲しいなーと思って指を加えてみていた記憶があります。当時、パソコンで何かができるなんて思いもしませんでした。もう既に Amazon.co.jp楽天などはあったようですが、子供のなので当然買うことができませんでした。

パソコンといえば僕の中ではゲーム機としての印象が強かった記憶があります。
転機になったのは近所のパソコンショップで見つけた「アフィリエイトで100万円」という文字でした。これが中学1年くいらの時だったと思います。ブログを書いてお金が稼げる!これは衝撃的な事実でした。今でも月1000円程度しか稼げてませんが、自分が書いたものがお金になるんだ!これは衝撃的な事実だったと思います。そこから早6年、現在に至るわけですが、その間にmixiTwitterFacebookとネットを震撼させるツールが次々と登場してきました。今思えば、僕がパソコンを通してネットに繋がった時期というのは非常に恵まれた時代だったのかもしれせん。

友達の少ない僕でも、ネットでの発信が誰かの目に止まり反応を返してくれる。これはコペルニクス的衝撃を覚えました。今では当たり前となったネットでの交流。僕はネットに始めて触った以降、とても恵まれた環境にいたのかもしれません。ネットを通じて世界を変えられるエジプトの例ではありませんが、そんな時代に立ち会えたのですから。

とまぁ、これが僕の子供の頃からの思い出です。いかがてしたでしょうか?