ドラえもん第1話「夢の町ノビタランド」復活と、大山のぶ代の憂鬱。

3月19日に放送されたドラえもん「ありがとう!30周年 今夜かぎりの春のドラえもん祭」。劇場版「新・のび太の宇宙開拓史」のテレビ初放送に加え、大山のぶ代さん時代のドラえもん第一話「ゆめの町ノビタランド」が放送されたSP版でした。放送間際からCMなどで(ゆめの町ノビタランド復活!)と、大々的に宣伝がなされていたり、テレ朝的にもかなり力を入れて(新・のび太の宇宙開拓史とどっちが本編なのかな?)と見間違うような雰囲気だったわけですが、個人的にこの大山のぶ代時代の本編が復活する事に、少しの疑問を抱いていました。いゃ、観たら観たらで楽しいんです。でも、それともは違う複雑な気持ち。

というのも、ドラえもんの声優陣が2005年に総入れ替え(大山のび代さん→水田わさびさん)になった理由が(旧声優人陣の年齢が高齢になり、番組を継続するための決断)だったからなんです。今回の放送は大山のぶ代さん世代にとっては嬉しい事だけれど、今のちびっ子のために引退した大山のぶ代さんの気持ちはどうなんだろうと。

大山のぶ代さんは著書で、引退の少し前に病気になった時、こんな事を思っていたといいます。

そうだ、早くスタッフの方たちにお話して、何事もないうちにドラえもんを、降ろしてもらわなくちゃ。早く辞めないと、急になにかあってもいけないから…。まだ今だったら、録音する元気もある。少し録音して、余分にVTRを作っている間に、早く次のドラえもんの声をやってくれる俳優さんを決めてもらって、私はこの子と、別々でいなくっちいけない。ドラえもんみたいな素敵な子に、出演中の俳優の死なんてひどい汚点を残しちゃいけない。

(ぼく、ドラえもんでした。p219

実際には、この後数年間は声優として活躍されたわけですが、年齢的にも体的にもドラえもんの声優が続けられる限界だった様子が伺えます。そして、大山のぶ代さんは著書でF先生の意思を(種まく人)に例えて、こう綴っています。

何にもない所で黙々と種をまく人。次の世代にしっかりと種を蒔き、心と技術を残す人。先生は、本当に素晴らしい種を蒔いてくだったのです。その種で育った若い人たちが、立派に先生の作品を仕上げてくれたのです。映画を観終わった時、またまた涙が止まらない私でした。心の中で「先生ありがとう。先生の蒔いた種で、こんな良い若者たちが育っています。これなら、来年も再来年も先生の心を伝える映画ができそうです。私達も一生懸命がんばります。どうか先生、見守っていてください。」

(ぼく、ドラえもんでした。p146

前にも、ドラえもん構成作家安達元一氏がバラエティ的な演出をした際、往年のファンから大ブーイングを浴びて炎上した…なんて事もありましたが、安易に過去の遺産を引っ張り出して視聴率を稼ぐ手法というのは、引退した大山のぶ代さんに対して失礼なんじゃないかと思ったのです。勿論、視聴率が上がらなければ番組自体が打ち切りになるというテレビ的な事情はあるけど、やっぱり、ドラえもんは子供たちのもの。子供達に夢を与える存在であって欲しいと思うのです。それと同時に、今の子供たちは「夢の町ノビタランド」を観てどう思ったんだろうか。古臭い?声があってる?つまんない?少し気になる所ではあります。

ありがとう!30周年 今夜かぎりの春のドラえもん祭」を観て、そんな事を思っていました。

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5 読めねーよ!!
5 ドラえもんが大山さん達で本当に良かった。幸せでした。
5 大山氏の子どものファンを大切にする気持ちが『ドラえもん』がみんなに愛される要因
5 とても温かいお話です。
5 『心』のあるアニメ。