今週のお題:私と読書 〜ネットから貰った本を読むきっかけ〜

私と読書・・。これは「読書」の話とは少しズレるかもしれないけど、ネットから貰った「本を読むきっかけ」について話てみょうと思います。今でこそ、ブログやTwitterでいっちょまえに書評なんぞ書いたり(三流書評家のくせにッ!)してますけど、お恥かしい話、ネットを始める前は殆ど本は読まない人だったのです。それこそ、月1冊〜2冊。

(元々、子供の頃から本は好きじゃなかったんです。「坊ちゃん」「銀河鉄道の夜」名著と呼ばれる本とは無縁の子。子供の自分にとって、名著は「コロコロコミック」と「少年週刊ジャンプ」だったのかもしれない。)

たま〜に、暇になると(本でも読んでみるかなぁ)と、重い腰を上げて近所の本屋さんに行き「平積み本されいる人気本」を買って、一読してハッピーエンド。ふぅ〜長い戦いだったなぁと、労をねぎらう自分の姿・・。(笑)

小説や文庫の類は、水戸黄門の印籠を彷彿とさせる(勝手なイメージ)表紙の本がドン!とあって、「控え折ろう、この表紙が目に入らぬか!」「はぁはぁぁ、おでぇかん様〜。」とか放っている様で、ちっとも興味が湧きませんでした。

そんな自分が何時からか、いっちょまえに書評なんぞ書いてる(本好き)に変わってたんです。


本好きになった理由


それは他ならぬ、ネットのおかげだと思うんです。

-ブログの書評を通じて、見知らぬ良書と出会えるようになった。

  • 本を買う前にAmazonのレビューを見れば「ハズレ本」に当たる確率を劇的に下げられるようになった。

ネットの中に散らばる(無数の読者)から「本っておもしろいんだよ!」そう教えて1貰ったからなのかもしれないですね・・。

それに、ブログの書評やAmazonレビューを見ると「1冊の本から、これだけ思いが滲み出てくるのか?!」とか思っちゃうほど、(本の中身を語る人・本から得た知識を語る人・本の思い出を語る人)沢山の人の感想や思いが(無数の星)となって、まるで「天の川」のようにキラキラ輝きながら流れているんです。

例えば、fujiponさんが書いた「30年ぶりの『ぐりとぐら』 - 琥珀色の戯言」という記事のを読んで見ると・・

うーん、昔から「モーたまらんうまさ!」とかフキダシに書いてある焼肉屋の看板の牛の絵を見ると、「食われる側がそんな能天気なこと言うわけないだろ……」と目をそらしていた僕としては、これが「処刑場行き列車」の話に思えてしょうがない。のせてほしくないだろ、りんごさんやバナナさんは……

息子は、この物語をどう読んでいるのだろう?(今はまだそこまでの「思考」はなくて、「がたーん、ごとーーん!」とかいう言葉の感触にはしゃいでいるだけにしか見えないけれど)

例えば、どんジレさんの「「灰色の男たち」はもしかしたら僕らなんじゃなかろうか?――『モモ』ミヒャエル・エンデ著」という記事のを読んで見ても・・

2009年の今、本書を僕が読むと、「何が欲しいのか、欲しい物を手にする方法は今のやり方で正しいのか、もういちど考えてごらんよ」ってエンデに問いかけられた気持ちになります。かつ、この問いかけに対して、「欲しい物が手に入ったら考えることにするよ」って答える日がきたら、つまり考えるのをやめてしまったら、僕は「灰色の男」の仲間入りをするのかもしれないなぁ。

そんな気持ちになった一冊でした。

こうやって感想を熱く語れる人って、素直にカッコイイと思います。^−^
(今ぱっと、頭の中に「松岡修造さん」が浮かびましたww うん、熱いです。)


それに、感想文やレビューを読むと(あっ、こんな視点で読めるのか!)(この部分にはそんな思いが込められてるんですね)と言う具合で、書評が本を読む時の先生代わりになってれてる気がするんです。そうやって新たな視点、気付けなかった箇所に注目すると、本のおもしろさが何倍にも感じられる。それって、「1冊の本を何人かで読んでる」そういう不思議な感覚なのかなぁ〜。

おもしろい本が見つけられる、新しい視点や意見が手に入る。そうやって本が読めるんだもん、おもしろいに決まってます。
私と読書」のお題と合っているのか疑問ですけど、今の自分にはこれが限界。あっぷあっぷで御座います。(笑)