Q,5つのあんパンと、「不特定多数無限大」の泣き虫君村。
突然ですが、問題です。
Q,あなた明日の宝を夢見る駆け出しの冒険家。伝説のお宝「ヨーグル蓋のウラの美味」を求めて、広い広い地球を旅しています。
ある時、あなたは道に迷い「泣き虫君村」という村に迷い込みました。その村は名前の通り村人全員が泣き虫君、彼らが泣いている理由は謎ですが、とくかに(シック、シック)と泣いているいるのです。帰る道を知りたい貴方は、村人に(帰る道を教えてくれませんか?)と聞いてみますが、村人は泣くばかり、いっこうに質問には答えてくれません。
あなたが途方に暮れていると、村人の1人がこう言いました「僕たちは、(アンパン)を食べたら泣き止むんだ。そうすれば、1つだけ質問に答えてあげるよ」と。
作者の意図なのか、あなたは(おやつ用)に「あんパンを5つ」買っていたではありませんか。(笑)
手持ちのあんパンは5つ・・つまり、村人から5回の質問を聞くことができます。
最後に、あの村人がこう言い残して去っていきました・・。
「この村の村人は(不特定多数無限大)なんだよ。何人の村人が居るのかも、どんな人が住んでいるのかも分からない。ただ、村人それぞれが技能や専門知識輪持ってて、泣き虫君の中にある(好き!)を探求しているんだ。」
・「泣き虫君村で学んだ卒論の書き方★論文の書き方」
・「泣き虫君村の動作を軽快にしたい」
・「要は、泣き虫君が無いんでしょ。」
・「泣き虫君の町で出会ったモジャモジャ犬「泣き虫君」
「そうそう、村人の知識や技術を集める村人も居るからそっちで聞いてみるのも良いかもね。じゃあ、がんばって・・。(シック、シック)」
・「なきむしくんうす」
・「なきむしっつお」さて、あなたなら「あんパン5つ」を使ってどんな質問をしてみますか?
※小学生の作文みたいなツギハギだらけの文章で申し訳ないです。
勿論ですが、この物語は自作なもので「正解」もなければ「不正解」を問うものでもありません。内容が粗末なだけに伝わり辛いと思うのですが、つまらないと思ったら無理をせず、飛ばし読みして頂いて構いません。
この問題で聞きたかったのは、「限られた時間の中で、“不特定多数無限大”の情報洪水と言われるネットの中から、どんな情報を選んでゆくのか?」という事なんです。
アンパンマンのあんパン=人間の時間と考えれば?
そもそも、この物語を考えるきっかけが「アンパンマンが困っている人に対して、自分のあんパンを差し出す姿」だったのです。
アンパンマンの顔は(欠けると力が出なくなる)という設定になっています。作品中ではその優しさゆえなのか、あんパンを渡し過ぎてしまい(ヒョヒョロになってジャムおじさんに助けを求める)という場面も度々描かれていますけど、基本的に、アンパンマンの顔は食べたらなくなります。そりゃ餡子ですからね。時間が経ったら回復するとか、そんなご都合主義ではないのです。つまり、顔は有限なのです。
それで思ったのです。もしも、あんパンが有限だとしら“選択”を迫られるのではないかって。仮に、アンパンマンの顔が均等に5分割できると仮定しましょう。パトーロール中にお腹が空いて泣いている人が居る。普通ならここで“あんパン”をちぎって渡しますが、顔からちぎれる“あんパン”は5つです。帰りの距離や残りの個数を考えると(ここで渡すべきか?)という思考が頭をよぎるはずです。これ以外にも、「カバ夫くん、ウサ子ちゃん、ピョン吉くん、クマ太くん、ネコ美ちゃん、モン吉くん、キーコちゃん、ウサ夫くん、ブタ夫くん、コン太くん」が同時に泣いていて、誰に“あんパン”を渡すのか迫られるかもしれないです。
勿論、実際の作品で描かれないのは百も承知ですし、こんなの愚問以外の何者でもないです。
でもこうやって、有限の中か(あんパン)を渡す姿って“時間を何かに使ったり、投資したりする行為”に近い部分があると思うんです。
(長くなりそうなので、簡単に羅列しておきます。)
・アンパンマンの顔と時間が似ている点
- 使えば無くなる(時間は使わなくても過ぎてゆくけど、アンパンマンも顔も使わなければ腐るはずです)。
- 使えば疲れる(体を動かせば疲労しますし、勉強や仕事といった知的作業でも脳は使えば疲れます)。
- 使える制限がある(アンパンマンは顔の範囲で、人は1日24時間という制限がある)。
- 答えは1つじゃない。
ネットの中の「時間貯蓄銀行」
ミヒャエル・エンデの「モモ」という作品があります。
時間をテーマにした児童向け小説なのですが、あらすじはこう。(↓)
イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれ、みんなが心に余裕が無くなってしまった中で、貧しいけれど友人の話に耳を傾け、自分自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女、モモの冒険によって、奪われた時間を取り戻すというストーリー。
ネットはある意味、「時間貯蓄銀行」に近い存在なんじゃないか。そう思った事があります。
危険性があると言った方が適切なのか・・。例えば、finalventさんの「 隠し金の問題じゃないんだから、支出を分析したらいいだろ 」を読んで(日本のメディアは役に立ただず!)とか思ったりする。それ自体はいい事だけど、その先、ジャーナリズム関連の本で知識を深めるとか、(賛成派・反対派)両陣営の意見を考察する事もなく、そこで思考を停止させて満足してしまう。こういうの自慢じゃないけど、自分の中では割としょっちゅうあったりします。(自称、あとで読む黒帯)
浅く広く、大量に。
ただそうやって、“自問自答”もせず「自分の意見を持たない知識」を幾ら脳内に“インプット”したって、人生の中では何の“アウトプット”もされないって思うんです。最初に(ネットは“時間貯蓄銀行“に近い存在)と書きましたけど、正確には「ネットの中の“時間貯蓄銀行“は自分の中にある」のかもしれないです。アイタタタタッ!(笑)
心を豊かにするも自分しだい。
心を貧しくするのも自分しだい。
アンパンマンのOPより。
なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ わからないまま おわる
そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を こぼさないで 涙 だから 君は とぶんだ どこまでも
さて、あなたなら「あんパン5つ」を使ってどんな質問をしてみますか?
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