「Web上の文章は官僚の作文に近い」 by 養老孟司をTwitterでつぶやいた。

昨日、けんすうさんの記事に対してTwitterでつぶやいていました。

tkfire養老さんが言うネットの文章が「反論を予測しながら書くとどうなるかというと、これは官僚の作文に近くなっていきます。」っていうのは、過剰に反応を気にしすぎるからなんですよね。要は、反論ばっかり気にして大事な所を書けなくなってしまう危険性がネットにはあると。 ( 2009-10-23 21:32:27 )
tkfireまぁ確かにネット上で文章を書く際には最低限の反論くらいは想定するけど、ネット上でも好き勝手言う人は好き勝手言ってますよね。 ( 2009-10-23 21:33:37 )
tkfireむしろ、自分はネットは養老さんが言う反論をあまり受けない言論が成り立つ場所なんじゃないかとも思うんです。それは、書き手がどれだけ強い意志と前提とする知識量を持って書くかと言う事。打たれ弱い人にとってはネットは負の面が強くなるけど、打たれ強い人にとってネットは正の場所になる。 ( 2009-10-23 21:36:11 )
tkfireこれからは、「本」や「雑誌」や「ネット」書く文章にあった媒体で書く時代。そういう時代なのかなぁって感じてます。 ( 2009-10-23 21:37:22 )
tkfireつぶやきたけば「Twitter」。日常の日記なら「ミクシィ」。自論なら「ブログ」みたいな感じで。 ( 2009-10-23 21:38:14 )

フォードの功績によって車が大衆に普及したからといって、電車の利用者が0人になったわけでもないし、飛行機の普及で電車の利用者が無くなったわけでもない。鉛筆だって紙だって、ポニョしかり、これだけデジタル全盛の時代でもバリバリ活躍してます。

これからの時代は多様で多種。使う側が自分にあった媒体や方法を利用して、よりより作品や成果を生み出していれば良いのかなぁと、思います。

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