長い文書には蓋

古い言葉に(臭いものには蓋)というのがあります。

失敗や悪事、人に知られたくない事柄を一時しのぎの手段で隠そうとすることのたとえ。
臭い物に蓋(くさいものにふた):ことわざデータバンク


意味は違うとげ、ブログの長文も蓋を閉められる存在なのかもしれない。
別に臭ってはいないんだけど、長文って読むのに時間が掛かります。



どんなに素敵で心惹かれる文章でも、

どんなに駄作で心惹かれない文章でも、


読む人が同じであれば同じだけ時間が掛かってしまいます。


もし、その文章が心惹かれる、読み取ってプラスになる文章であるなら、その人にとって有意義な時間になるでしょう。
もし、その文章が心惹かれない、読み手にとってマイナスとなる文章であるなら、その人にとって無駄な時間となるでしょう。


どれが有意義かっていうのは人それぞれですが、文章が長文であればある程、文章を読むリスクと隣り合わせだと思うんです。人の時間は有限。そもそも人に無限の時間があるなら、ツタヤで借りたDVDに対して「損したー!」なんて言う必要もないですし、そもそも「損」という言葉自体、辞書には載らないのかもしれない。お金だって、無限の時間があれば、時給でビル・ゲイツの資産を超えるのも不可能じゃなくなります。

限られた時間だから、それに見合った価値を求めてしまう・・。

ブログの短文と長文のどっちが良いのか。一概には言えないけど、時間を投資している以上、それに見合ったリターンを求めるのは必然だと思うんです。だから文章が長ければ長いほど、満足感や充実感を求めてしまう。長文が敬遠される理由って、読むのに時間な以上に(読むのに見合った内容ではない)という、無意識レベルの判断が影響しているのかもしれないです。

まぁ結局は中身が大事。(ぐたぐた言う前に書けよ!)と、ごもっとも君なお話ですが、そう簡単に書けたら苦労しませんって旦那・・。(笑)