「できる」と「できない」の間の(やらない)という選択肢。

子供ころ、勉強も出来てスポーツも上手い子に凄い嫉妬していた記憶があります。
自分は子供の頃から、勉強もスポーツも人に自慢できるほど得意じゃなかった。でも時たま、妙に気合なんか入れちゃって(よーし、頑張って勉強するぞ!)なんて、普段は開かないピカピカの教科書やノートを開いて勉強する。頭の中では出来る自分、パッパッパ〜♪と勉強を片付けちゃって(お母さん、遊びにいってます。)なんて、

意気揚々と遊びに行く出来杉君タイプの自分を想像してしまう。でも現実は頭の中とは違う・・。

その時ばかりか、妙に気になる机のヨゴレ、もう数年も読んでないはずの漫画を全巻読破しょうとする好奇心が心の底からメラメラとわきあがって来る。だめだだめだ(エヴァンゲリオン風)に心の中で唱えてみたり、本棚に並ぶドラえもんの単行本を見て(暗記パンがあったらいいのに・・でもさすがに、パンを何枚も食べるのは辛いよね)なんて、漫画か張りの想像力が開花される瞬間でもあったりする。顔はニヤニヤ、頭が焦る・・。

目の前に写る算数は、当時の自分にとって「フェルマーの定理」にも勝るとも劣らない難問だったのかもしれない・・。

数日後のテスト。案の定、50点にも満たない点数。心の中で(褒める自分VS責める自分)の戦いが勃発していた。

                ・
                ・
      桜が数え切れない程散って、大人になった。
                ・
                ・

子殿頃のように、宿題が無くなったけど、大人は大人で大変だ。
でも大人になった分だけ、自分の意思で選べる事は多くなったと思う。「責任」というおまけ付きでね。

ただ大人になっても、子供の頃のような「嫉妬」は消えなかった。大人になって、それは「憧れ」という言葉に変わったけど、今でも「自分の意思でテキパキ仕事をこなす人」「自分の目標に向かって真っ直ぐ突き進む人」そいう人には憧れる。いゃ、誰だって憧れているのかも知れないけど・・。

何処かでプレッシャーを感じているのかもしれないね。(少し休んでみょうか?)

○○ができる自分
○○ができない自分

でもちょっと考え直して、
やらない自分

そういう選択肢もあるんじゃないかなぁ。別に全てが万能じゃなくたって良いじゃない。自分は自分。

それも素敵な自分じゃない?